『優しい人』ってどんな人?時には立ち止まって考えたい「優しさ」の意味とは?

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何かが切欠で「優しさ」について考えることはありませんか?みなさんの周囲に「優しい人」はいますか?そもそも「優しい人」ってどんな人でしょうか。そして、自分は優しい人だと思いますか?ここで、改めて「優しさ」とは何か・・・。「優しい人になりたい」と思う時の心理などをご紹介して行きたいと思います。

「優しさ」ってなんだろう?

優しさとはなんでしょう?

「優しさ」とは、人の気持ちが分かり、柔らかく穏やかな印象を人に与える人。その人がいるとなぜかほっとして、温かい気持ちになれる人でしょうか。たとえば、街中や電車の中で、困っている人にすかさず手助けをしている人を見かけたら、「優しい人だなぁ」と感じるでしょう。

電車やバスの中で、高齢者や身体の不自由な人、妊婦さんなどに席を譲る人。また、車椅子の人を見かけたら、すかさず手を差し延べている人。恵まれない児童施設の子ども達を支援をする人たちや、子どもや動物・花などを愛する人を「優しい人だなぁ」、と感じる人もいるでしょう。

「優しさ」という言葉から連想するイメージは人それぞれかもしれません。

例えば、「優しさ」について辞書を引いてみると、

  • 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。
  • 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
  • 性質が素直でおしとやかである。穏和で好ましい感じである。
  • 悪い影響を与えない。刺激が少ない。
  • 控えめに振舞い、つつましやかである。
  • 殊勝である。けなげである。りっぱである。

などが記載されていました。

ちなみに「優しい」の類語は「おとなしい」「穏やか」と記載されていました。

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真の優しさについて考えてみよう!

真の優しさとはなんでしょう?優しい人とは、他人にした行為に見返りや期待を求めない人です。困っている人や身体の不自由な人に、手を差し延べたり声を掛けたりすることで、自分自身は「優しい人」だと思われるように努力することはとても良いことです。でも、本当の優しさなのでしょうか。

優しさとは、人に「こう思われたい」と努力をするものではないのです。「優しい人になりたい」と思うことは、とても素晴らしいことですが、その裏には「他人にこう思われたい」という想いが隠されてはいないでしょうか?

本当の優しさの意味とは、「人からこう思われたい」と、何の計算や努力をせずに、自然に周囲の空気を穏やかにできる人ではないでしょうか。

例えば、親切の押し売りをする人がいます。他人が求めていないのに、手を差し延べたり声を掛けたりすることです。これはある意味、他人からしてみれば「お節介」というものです。自分がターゲットにした人が、何となく危なっかしいなどの理由から、つい手を差し延べたくなる性格の人。これでは、相手の気持ちを考えずに、自分本位で行動をしてしまう自己満足です。

よく言えば、情に厚い人かもしれません。悪くいえば「お節介な人」や「親切の押し売り」です。これは、自分がつい手を差し延べたくなる性格を抑え切れず、自分が良かれとして取った行動も、相手にとってはただの迷惑で、後から後悔したことがある・・・こんな経験がある人もいるのではないでしょうか?

人に優しい人とは、自分自身にも優しい人

自分を犠牲にしてまで他人を優先にすることは、真の優しさではありません。例えば多忙なビジネスマンが、自分の仕事が迫っているのに、仲間の仕事を優先に手伝ってあげるのは良いことです。しかし、そのために自分の仕事を後回しにし、挙句の果てに残業までするのはどうでしょう。

本当の優しさとは、自分に精神的なゆとりがある状況から生まれてくるものです。自分だって今月生活費がピンチなのに、友人から頼まれて、つい人にお金を貸してあげたりしてしまうのはどうでしょう?

自分に余裕がないのに、相手が困っているから・・・と、相手を優先にしてしまうのは「自己犠牲」という代償が発生します。こんな時、相手の懇願を断るのも、自分にとっても相手にとっても、ひとつの優しさではないでしょうか。

「人に優しい人になりたい!」と願う前に、まずは自分自身を大切に愛することです。自分を愛することができれば、他人を愛することができ、タイミングやシチュエーションを察しながら、人に優しくできるはずです。

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優しい人とは「他人の痛みが分かる人」

優しい人とは「人の痛みが分かる人」と答える人がいますよね。人の痛みが分かる人とは、自分自身も挫折や苦労を乗り越え、前向きに生きているからこそ人の痛みや気持ちが分かるのではないでしょうか。

「幸せ」や「苦労」とは、他人が自分の物差しで測るものではありません。なので、「あの人は苦労をした」「幸せそう」に見えるのは、自分の物差しで見ているだけで、他人から見て明らかに不幸そうな災難に陥られても、本人からしてみれば、与えられた試練だと受け取る人もいるでしょう。

「家柄が裕福で、学歴があり、仕事でも出世して、何不自由のない幸せな生活を送っている・・・」ように見えても、本人にとっては人に見せない苦労があるかもしれません。なので、「幸せ」「不幸せ」の定義は、人の価値観によって異なるのです。

例えば、生まれつき障害を持って誕生した子どもや、事故や災難によって身体が不自由になった人や、その家族は「不幸」でしょうか?本人にしてみれば、自分の置かれた環境をしっかりと受け止め、自分ひとりの力や、家族や周囲の人たちの協力で乗り越え、力強く生きている人たちがたくさんいらっしゃいます。

優しい人とは、苦労をしたというより、自分に与えられた試練や困難を受け止め、自分の歩むべき道をしっかりと歩いている人ではないでしょうか。自分の挫折や困難を乗り越えた人こそ、他人の気持ちや感情に敏感になり、人の心が分かるようになるのだと思います。

「優しい人になりたい」と思うのは、どんな時?

この記事に辿り着いて読んで頂いている人は、おそらく、「優しい人になりたい!」と、何か思う切欠があったのではないでしょうか?

人はどんな時、「優しい人になりたい」と思うのでしょうか。

1. 優しい人と触れ合った時

例えば、良くあるのが電車の中での行為。筆者は先日、満員電車の中でこんな光景を目の当たりにしました。

杖を付き吊革に捕まっている高齢者を見かけた中年女性が、自らすっと席を立ち、高齢者の元へ歩んで行きました。「こちらへどうぞお掛けください」と手を差し延べてエスコートしました。

高齢者の女性は、「よろしいですか?」と遠慮がちでしたが、「いいえ。次の駅で降りますのでどうぞ」と笑顔で快く声を掛けていました。その姿にとても温かい気持ちが芽生えてきたのです。この時、筆者はドア付近に立っていましたが、例えば、自分だったらどのように対応しただろうか?と考えました。

今まで高齢者に席を譲ったことは数回ありますが、それは真の優しさから来るものだったのか、と。

電車の中で席を譲る行為は、なかなかできるものではありません。

それは、

  • 自分が座りたいから
  • 電車の中で席を譲る行為が何となく恥ずかしいから
  • 偽善だと思われたくないから

など、考えることがあり、高齢者に席を譲らなかったことがありました。こんな時、自分は優しい人じゃない、と感じたことがあります。席を譲った時のことも考えてみました。必ずしも真の優しさから来るものではなく、周囲の人に「親切な人」「優しい人」をアピールしている自分がいるのです。

これが、真の優しさではなく、偽善や自己満足なのだと自己嫌悪に陥ることがありました。

上記の中年女性は、ほどよいタイミングや声のトーン・笑顔・手の差し伸べ方が、あくまでも自然でした。人の優しさとは、なんと美しく、周囲の人の心を変えるほどパワーが備わっているものであると感じさせられました。

この時、筆者は「真の優しさ」について、学ばされた気がします。

2. 良かれとした行為がお節介だと知った時

こんな経験はありませんか?自分が良かれとして、人に声を掛けたり手助けをしたつもりが、裏目に出てしまうこと。これは、相手との相性や関係性にもよりますが、初対面の人に手助けをして、相手に快く「ありがとう!」と言われれば良いですが、迷惑な態度や拒絶をされることも時にはあるのではないでしょうか。

そんな時、自分の行動が果たして「優しい」かどうか、考えさせられる切欠となりますよね。また、良かれとした行動に、「ありがとう!」と感謝の言葉を表されないからと言って腹が立つなど。こんな場合、自分の人間性や「優しさ」について反省する人もいれば、自己嫌悪に陥る人もいるでしょう。

時に反省や自己嫌悪も必要だと思います。ただ、自分の取った行動に、感謝の意を表さない相手に腹を立てるのはどうでしょうか?それは、相手に見返りを求めていることになるのではないでしょうか。真の優しさとは、例え相手がどんな偏屈な人でも、例え「ありがとう!」と言われなくても、相手は感謝しているかもしれません。

そんな気持ちを察することができ、相手に見返りを求めない心が真の優しさが備わった人だと思うのです。

3. 不本意にも大切な人を傷つけてしまった時

自分の何気ない行動や言葉で、相手を傷つけ、大切な友達や恋人を失ってしまった、という経験は、人生に於いて誰にでも一度位あるのではないでしょうか。自分にとっては悪気など全くなくても、相手にとってはトラウマになることもありますよね。

そして、大切な人を傷つけてしまった自分もまた少なからず傷つくことになります。これは、人生に於いてひとつの大きな壁です。誰だって、生まれて初めて異性と付きあったり、自分にとって初めてのタイプの人間と社会の中で出会った時、相手がどんなことで喜んだり、悲しんだり、傷つくかは分からないのですから。

傷つけられた方もまた、相手が故意に傷つけたことがないと知りながら傷ついた自分を責めることもあり得るのではないでしょうか。こんな時、「自分は人の気持ちが分かる優しい人になりたい」と思うのではないでしょうか。

このような経験を積み、人は他人の気持ちが分かるようになっていきます。優しさとは目に見えないものですよね。優しい人になりたい・・・と思う切欠は、自分自身も傷つき反省しながら、「優しくなりたい」と思うものなのです。

あまり自分を責めずに「人の気持ちが分かる人」になるためのステップだと捉えましょう。

改めて優しい人とは・・・

自分の周囲にいませんか?「あの人は優しい人ね」とか、「○○さんは優しいから」など。そんな時、自分自身が優しい人ではないような気がしませんか?他人が言う「優しい人」の定義はそれぞれに思いがあり、相手やシチュエーションなどによって、つい言葉に出てくるものですよね。

「優しい人」の定義の中に、なんとなく不安定で優柔不断な要素も含まれていることもあります。「優しい人ね」と言われる当の本人は、自分の決断力の無さや優柔不断さ、包容力の無さに悩んでいる人もいるでしょう。

真の優しさとは、相手の気持ちが分かる人で、多くの人がそれを目標にしていることでしょう。インターネットが普及する現代社会では、20代~30代男女の多くが、自分のコミュニケーションスキルの足りなさに悩んでいる人が増加していると言われています。

ある大手企業の調査によると、友達とのコミュニケーションの取り方は、メールやLine・Skypeなどアプリを使う20代~30代が6割以上だという結果が分かっています。「優しい人になりたい」「人の心が分かる人になりたい」と思う裏側には、自分のコミュニケーション下手に悩む人たちの心理が伺えます。

友達や恋人とケンカをした時、どうやって仲直りをしようかが分からず、考えているうちにそのまま自然消滅してしまう人さえ多いようです。ようするに、人間関係に亀裂が生じた時、コミュニケーションの取り方が分からない若者が多いということです。

「優しい人になりたい」と思うのは、相手を傷つけ、自分自身も傷ついた時、改めて思うことが多いのではないでしょうか。そんな意味では、「優しい人になりたい」と反省したり、時に自己嫌悪に陥るのは良いことだと思います。

まとめ

この記事に辿り着き読んで頂いた方は、自分の優しさの足りなさに少なからず悩んだり反省した人が含まれているのではないでしょうか。真の優しさとは、自分を愛せる人・挫折や困難を乗り越えた人が、相手の痛みや気持ちを知った上で、さり気ない行為や言葉を掛けることができる人ではないでしょうか。

そして、本当に優しい人とは、他人のすべてを受け入れることではありませんよね。「それは違うよ」と教えてあげたり、時には本気で怒ることも相手のために必要なのではないでしょうか。相手を傷つけてしまったら、自分も傷つくこと。そして、相手が傷ついた時は、自分も痛みを知る。

このようなことが分かる人が、真の優しさを備えた人なのだと思います。「優しさ」について、時に悩み、考える切欠を持つことは大切です。みなさんも、あらためて考えてみてはいかがでしょう。

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