彼女は勉強「だけ」ができない:経験と感覚で生きる人のなんとなくが凄い話

最近は店長候補とする人間を育てている。二十代前半の女の子で、その子には夕方の学生の子を育てるべく二人ばかりを預けている。で、あるときその子がグチっぽく言った。

「どうも自分から動いてくれないっていうか、いつまで経っても頼りっきりなんですよね」

そんで今日、その店長候補の子と俺と、あと新人で夕方からのシフトに入る機会があった。その場合でも俺が直接教えることはあまりしない。あくまでその店長候補の子が教育係で、どっちかっていうと俺がレジとかの通常業務をやるような状態になってる。

んで、彼女が新人さんに揚げ物をやらせていた。

「すいません、フライドチキンはいくつ揚げたらいいですか」

「んー、じゃあ5本で」

「それとポテトがもうじきなくなりそうですけど、これはどうしますか」

「いまはそのままでいいや」

などというやりとりをしていた。

さりげなく様子を窺ってたわけなんだけども、どうもこの手のやりとりが多い。新人が逐一質問をして、店長候補の子がそれに答える、というやりかただ。

それを見てて、ふと気づいた。

店長候補の子は、基本的にボキャブラリーが少ない。また文章を読む能力も低い。ありていにいえば勉強ができないタイプなんだが、自分が仕事を覚える過程でも、理論よりも実践、といえば聞こえはいいけど、要はやってみて叱られながら育つタイプだった。まあ、もともとの頭の出来は悪くないので、そうやっていくうちに、なんとなく頭のなかで仕事が体系化されていって、最終的にはある程度めんどくさいことでもできるようになる。

彼女自身はそれでいい。俺は結果さえよければ過程はどうでもいいっていうか、自分の教えかたも相手に合わせるタイプなので、彼女にはこまごまとお小言をいいながら育ててきた。

しかしその彼女が教える側に立ったならどうか。

彼女の説明のしかたにはある特徴がある。たとえば「からあげ揚げますか?」と聞かれたときに「3個揚げておいて」と答える。指示を出すときは「からあげを10個揚げておいて」と具体的な数字を出す。まあいまはうち、揚げる数を指示する表とかないんでね。現場の判断で客数に合わせててきとーに増減してもらってるんですけど。

別に悪いこたーない。

ように見える。

しかしだ。考えてみれば、これでは新人はいつまで経っても「揚げる個数は店長候補が指示を出すもの」と思い込んでしまう。つまり「揚げ物の個数を決めるのは店長候補の仕事であり、自分の仕事ではない」と思ってしまうわけだ。

で、そのことを彼女に伝えた。つまり「個数を決めるところまでがバイトの仕事なんだとちゃんと伝えているか」と聞いたわけだ。

「もちろん、説明してますよ」

彼女はそう言う。

しかし現実的にはバイトはずーっと質問に来るわけだ。

「じゃあどうやって決めるか説明してる?」

「してますよ。今日はお客さん多いから多めだって」

「それは説明じゃねえよ……」

つまり、こういうことだった。彼女に理屈はない。ただ経験はある。こんな感じの客数、こんな感じの客層であれば、だいたいこんなもんだろう。その判断は経験に裏付けされているだけあって、なかなかに正確だ。たとえばフライドチキンがセールなら、類似した商品の売上は下がる。そのへんを含めてトータルに判断できるわけだが、判断できるようになったそのときには、もうそのことは彼女には「わかりきったこと」なので、それを説明する言葉がない。これが完全な手順作業だと、元のスペックが悪くないし、ボキャブラリーの少なさを補って余りある表現力、人の感情の読み取り能力、早い話が高いコミニュケーション能力があるため、まったく説明には危なげがない。ただし、彼女が「なんとなく」で把握しているようなもの、つまり判断の背景に複数のルールが働いているものについては、彼女は説明ができない。

説明というのはルール化だ。

ごく簡単なレベルでは、たとえば「フライドチキンを3個揚げてくれ」はルールではない。「いつでも5個になるようにしておいてくれ」がルールとなる。5個にするための判断は新人自身がするほかない。もう少し噛み砕いたルールを与えるなら「残り2個になったら3個揚げろ」がルールになる。この時点で仕事は自動化され、逐一の指示を出す必要はなくなる。

もちろんルール決めには弱点がある。たとえば店長候補の子なら、ふだん学生が来ない時間帯に中学生が数人来て「テストやべーよ」という会話でも聞いたなら、即座に学生に売れる商品の数を増やすだろう。これからある程度のまとまった学生の来店があると経験で知っているからだ。これはルールでは対応できない例外的な事態となる。そんでコンビニやってれば、そういう例外的な事態はわりと発生する。

そして例外が発生した時点で、彼女はルール化ができなくなる。もともと背景に理論がないからだ。もちろん俺が説明した段階ではルールを提示していたわけだが、そのときは理解していても実際の仕事ではそのルールはすぐに破棄される。例外があったらルールは無意味になるからだ。それゆえに彼女の対応は激しく臨機応変で、この限りにおいて有能だとすらいえる。経験を実際の仕事に反映する速度が爆速だからだ。

この有能さが罠だ。ほかの人は彼女のように対応はできない。

彼女に円周率は必要ない。円周の長さは直感で把握するからだ。もちろん円周率はだいたい3であるということは知っている。しかしそれは3.14だと「学んだ」からではない。「なんとなく3くらいだろ」と経験から学んだだけだ。しかも実際の商売は数式ではない。なんかのまちがいで老人ホームの送迎バスが駐車場に入っちゃったら、その瞬間からコロッケがバカ売れする可能性がある。揚げ物に限らず、店の内部にはそういう要素がたくさんある。彼女に前提は関係ない。年寄りが来たらコロッケが売れる。だったらふだん5個のところ30個にして片っ端から声かけて売ればいいだけだ。そうなる。そのあいだほかの揚げ物のことは考えなくていい。

問題は、彼女が「だれでもそうできる」と考えていることだ。だいたいの人にとっての「高度な判断」が、彼女にとっては「その場の空気でなんとなくやった」に変換されている。逆に彼女にとっては、各アイテムの時間帯ごとの個数を設定して、そのとおりに揚げることのほうが苦痛であるに違いない。勉強が徹底してできねえってのはすごいもんで「表を見て」「売場の個数を見て」「差を計算して」「揚げる」という一連の動作が無意識ではできない。

以前は表あったんすよね。弊害のほうが多いからやめたんだけど。

彼女がそれを見て、ひとりごとめいたことを言っている。

「いま16時だろ。表が10個だから……ああ、でももうじき3個廃棄になるのか。だったら売場に2個になるわけだから10引く2で……8な。ああ、8揚げればいいのか。でも袋に7個しかねえな。今日雨だしなあ。あ、店長、ハンパなんで17揚げちゃっていいすかね、今日雨なんで売り込めば行けると思うんでー」

数字はてきとーです。

「いやだから、それやったらキリないじゃん。おまえだから売り込めんだろ。対面のおすすめ苦手なバイトが入ってたらどう説明すんだよ。まずみんなが同じ判断できるようになって、穴がないようにして、それで欠品防いで、店全体のレベルを上げていくんだろ。それに今週はセール品のフライドチキン中心で押してくっつったじゃん」

「やー、でもこの感じだとフライドチキンよりコロッケっすよ。コロッケやばいですよ」

「いやそりゃまあそうなんだけどさあ……」

こういうやりとりを何度したか。

なにより問題なのは、実際に彼女は「売る」わけだから、ルールの必要性というものが実感としてわからない、ということだ。

まあなー、結局は新人が自立してくれなくて、自分の負担でかくなって「痛い目」見るまでわかんないんだろうけどね。痛い目見る前に、事前にちゃんと物事を把握しておくために必要なものが「理論」ってやつなんだけど、ま、根気強く教えていくほかないですわね。

彼女を見てると思うんだけど、学校でなに教えてくれるのかっていうと、ものごとを理屈で把握する、その把握のしかたなんじゃないだろうか。たいていのことはルールがあって動いてるっていう、そのルール。あるいは感覚では把握できないくらいでかいことを計測するための定規。

彼女にはそれがない。それゆえに、ときどきは有能だ。しかしそれだけではいずれ立ちゆかなくなるときが来る。

さて、どう育てていくか。俺の腕の見せ所です。