都会と田舎の比較の話が出るととりあえず絡みつく:学歴と都会田舎分析

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http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20130115/1358204323

http://d.hatena.ne.jp/mizchi/20130115/1358216244

 

両方読んだ。

過去に何度も触れた話題ではあるが、いま一度書いてみようと思う。この話題が出るとMK2さんが裸ネクタイで農道のまんなかに踊り出てきます。書きたくなるんだんよこれは!!

現在の俺は関東地方の片田舎に住んでいる。都心は通勤圏には入らない。ま、下のリンク先の方のいう「関東圏」にはあたるわけだが、各種社会インフラっつーことでいうと、まずまず田舎といっていいと思う。とりあえず、高齢率と離婚率、高校中退率あたりの高さと、大学進学率のやたらめったらな低さだけでも「田舎」は名乗っていいところだと思う。

ちなみに以前は横浜の都心部に住んでいた。どんな用事でもだいたい自転車でこと足りる。「あー今日あのマンガの発売日だっけかー」と思ったら自転車で横浜の有隣堂まで行くとかそんな世界だ。なんで、まあ両方知ってる。渋谷ほどではないにしても、俺が子供のころの横浜駅西口の猥雑さはかなりのもんだった。五番街なんか子供が一人で行ける雰囲気のところじゃなかったけど、そのへんのガキどもの遊び場っつったらあのへんのゲーセンだったんだけどね。

で、どっちがいいかって話なんだけど、ケースバイケースとしか言いようがない例の話題。書き手のバイアスの問題もある。

まず最初に確認しておきたいのはリンク先の記事の両方を読んでる人、ならびにこの記事を読んでる人が属する「層」のことだ。

なんかのデータを参照してるわけではない。あくまで俺の推測だが、平均的に学歴は高め。高校もそこそこのレベルで大学には行ってる。なにより文字を読むことに抵抗がない。少なくともメンズナックルは買ってない。女性誌でいえばeggは買ってない。右翼と左翼っていう言葉の意味はわかる。円高円安が景気に与える影響もだいたいはわかる。大雑把にいえば新聞を読んで意味がまるでわからんところはあまりない、という程度の知的能力があると思われる。

そしてPCユーザーだ。

スマホが普及したとはいえ、ど田舎の俺の観測範囲ではmixi、LINE、モバゲーがほとんどの使用方法で、ツイッターは使ってはみたものの使いかたがわからなくてすぐやめた、というのがほとんど。ニコ動のアカウントすら持ってなくて、なにより「ぐぐって調べる」という技術がない。

これが基本的に「田舎に残る」層だ。分岐はどこにあるかというと、高校の進学先にある。進学校はたいてい地方の中核都市にある。そこに進学すると地元のコミュニティと切り離される。そして視野に「首都圏の大学」というものが入ってくるから、そこから可能性というものが見えてくる。相対的な視点を手に入れることができるから、自分の住んでいる「田舎」というものがどういうものであるのかなんとなく見えてくる。

もちろんこれはものすごく大雑把な括りなので、現実的には高卒でブロガーでございますと文章書いてる人間もいれば、うちの奥さまのように、偏差値40に満たない高校出身でも化け物じみた読書量のはてに文字から情報を仕入れることがまったく苦痛でない人間もいる。

この大雑把な括りでいえば、PCユーザーで、かつネットから自主的に情報を拾ってこれる時点で、すでに精神的にはある程度「田舎」というものから切り離されてしまっている、とはいえる。なにしろ「知ってる」わけだ。都会がどんな場所であるか、田舎がどんな場所であるか。

この状況では、田舎に住む知識層は、地元に対して怨嗟を持たざるを得ない。同様に都会が文化の中心である、という事実にもだ。したがって、都心住まいの方の記事には反感を持たざるを得ない。実際にはインターネットの「この界隈」には存在しない地元民というやつがいて、そういう人たちは「やっぱ知ってる人間がいない環境って居心地悪い」と思ってるし、ファスト風土的な環境に適応して、スウェット上下で、車で1時間かかるジャスコで過ごしていたりする。その層は、少なくとも「この界隈」からは見えない。

都会と田舎の最大の違いはなにか、と問われたなら、俺は「可視範囲に知らないものがあるかないか」だと答える。田舎は人口が少ない。新陳代謝が低い。流動性が低い。したがって、変化しない。ブコメにも書いたがなにもかもが知ってるものだらけだ。俺は家から店までの5分のあいだですら音楽を聞いてるような人間だったが、道路の向かい側からあいさつされてそれに気づかなかった場合、陰でなにを言われるかわかったもんじゃない、ということを学習してからそれをやめた。最寄りのファミレスまではなんとか徒歩圏内だが、どうせ従業員も知り合いの知り合いくらいだ。なにより店内のほとんどの客は、俺が「コンビニの店長」であることを知っている。その状況でもし、俺が鼻くそほじりながらネットブックでエロゲのオフィシャルサイトを開き、かつ手元には「すみっこの空さん」があったとして、それをだれかに見られたとしよう。断言してもいいが、次の日には店に来る客のだれかはかならず知ってるね。なにせ、滅多に行かない銭湯に行った翌日には、知らないおっさんから「兄さんも銭湯行くのかい」って話しかけられるんだから。

ちなみに、コーヒーを飲みたくなったら車で15分のドトール以外、俺には選択肢がない。まあ1時間かければほかのコーヒーショップあるんですけど、ちょっとさすがにめんどくさい。とにかく「コーヒー飲みながら本読みたいなー」と思ったらドトール以外に選択肢はないんだが、そこでも「あ、◯ーソンの店長だ」とか陰で言われる始末だ。

周囲が知っているものだらけ、ということは「知られているものだらけ」からも逃げられないということで、このへんでは地方都市は地獄だという人の感覚がよくわかる。なにせ俺は匿名性が支配する都会からこの土地に来たのだから。都心に日帰りで行けないこたーないですけど、このへんの事情は別に変わらんです。

そんで、新陳代謝がない、ということは「選択肢がない」ということも意味する。ツタヤまでは自転車で行ける範囲だが、ここでラノベ買うと「◯ーソンの店長ラノベ買うらしいよ」っていう噂は確実に広まるので、俺はここではラノベ買えない。そもそも新刊が爆速で消えるし……入荷してんのあれ本当に。で、俺には車があるので50分かければもっと充実した本屋に行ける。しかし充実した本屋はそこ以外にない。それくらい、あるいはそれ以上に充実した本屋っつったら……あれは……車で行ったことほとんどないからよくわからんが、1時間半くらいはかかるんじゃねえのか。

まあアマゾンで買えって話なんだけど、俺個人ができるだけアマゾン使いたくないっていう以上に、この「本屋の選択肢がない」っていうことがなにを意味しているかというと「なにげなく町を歩いているときに本屋に立ち寄って」「店頭で話題になってる新刊を見る」という機会が絶無だということだ。

自転車の話題が出てたけど、これなんかでも、たとえば俺、この町でトーキョーバイク見たことねえっす。ルイガノもな。遠出してくるロードレーサーの人たちは見かけるけど、この町の人が「店頭で」自転車を買おうと思ったら、いちばん充実してるのはジャスコになるんだけど、そこにゃジャイアントすらないですからな。つまり、ガノでもトーキョーバイクでもいいんだが、子供が「あれがかっこいい」と思う機会そのものがない、ということなわけですよ。田舎の人が「機会を奪われている」と言ったときには「そういう環境で生育してきた」ということだと思ったほうがいい。小中学校はもちろんのこと、高校生くらいでもあんがい視野って狭い。生育環境がその人の価値観に与える影響は大きくて、その状況で「都会はこうだ」「先端のものはこうだ」っていう情報だけをネットで与えられたら、そこに発生するものは妬みですわな。まあ、車で1時間くらい走ればあさひありますけどね。でもあさひのリアル店舗ってスポーツ用の自転車置いてあったっけ……?

まあそんなわけでですね、田舎で生まれ育った人が田舎を憎悪するような発言をした場合には「そこに適応できなかった」という意味合いがかなり含まれている、ということです。まあ適応以前に、そこそこの大学に進学してしまったがために自動的に切り離された、という例のほうが多いでしょうけど。

こういうことのたられば話はあんま意味がないんですが、俺みたいな暗黒小中学校時代を過ごして、なんかちょっとおかしいタイプの人になっちゃった人間が、もし田舎で生まれ育ってたら、死ぬ気で脱出することしか考えないと思う。あとまあ、音楽でも文学でもなんでもいいですが、そのときどきの最新の文化みたいなものに対する強い感受性を持っていた場合も同様。とにかく都会ってのは、歩いてるだけでも情報量のケタが違います。これはもうびっくりするくらい。だってさあ、田舎だったらキャベツ畑が茫漠と広がってる空間に、ぎっしり建物あって、看板あって、店があるんだぜ。人間だって、ここじゃじーさんか、土建関係の人か、ガソリンスタンドの人か、まあとにかくスーツ着てる人間いないし、だいたい外見だけでどんな社会的立場にある人かすぐわかる。スーツ着てりゃ公務員ってなもんですよ。そもそも知ってる人ばっかだしな。なにやってるかわからん人が大量に歩いてるっていうのは、それだけでもう情報なんですよ。キャベツ畑にも四季がある。今日、はじめての春の気配を感じた、それもまた情報だとかそんな趣味的な感傷は腐れポエマーにでも任せておけばいい。

とにかく、単にぼーっと生きてるだけでも、時間単位あたりの情報量のケタがまったく違う、ということです。正確に計測できるもんでもないだろうけど、やばいくらい違うと思うよ。俺自身がたまに都心部に行くとそう思うもん。

そんでこの手の話題を書いたときのいつものオチ。

俺はコーヒー飲みたいと思ったときに、ドトールとタリーズとエクセルシオールとベローチェと、あとはワンランク上のふつうの喫茶店と、それを使い分けられない生活はきっついです。スタバはいらねえ。

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